ユーザインタフェースの操作感
のんびり学習の記録
4年生にしてすでに勉強嫌い?!長女のお勉強の記録と子育てって、教育ってなんだろう?をまったりと考える母のひとりごと
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「どんぐり倶楽部の学習相談」で、すっきり晴れやか♪
というわけで、

先々週ぐらいからまったくどんぐりもやらない日々が続いております
ちょっと前まで、その状態にちょっとイライラぎみだった私ですが、すっかりそんな気分もなくなって晴れやか~~です。
ま、やりたくなったらいずれはやるでしょう、ってなもんです。
すごいな~~私

理由はいろいろあるんですが・・・

やっぱり、どんぐり先生に学習相談をしてみたのが大きいので、参考のために公開しておきますね


以下、メールやりとり。


ご無沙汰しております、北海道のもこっぴです。
おかげさまでこの夏休みに、我慢比べを実行することが出来ました。
「分かる」ことが、楽しい、と感じてくれればと思っているところですが、どうもうまいこと行っていないようです。

少し思うところがあって、夏休み明け以降、どんぐり問題も、やりなさいと言うことをやめています。

現在は長女はまったくの野放し状態です。
やれ、と言わなければやはりやらないのか、というがっかりした気持ちと、それでもいいんだ、という気持ちと
半々で、毎日覚悟を決めて「言わない」ことを決めています。が、昨日は失敗しました。

宿題は大した量もなく、算数のプリントが数枚。
いままでは難なくこなしていたらしくて、マシーンの出番もありませんでした。
が、昨日は「仮分数→帯分数」「帯分数→仮分数」が分からないということで、各3問あった問題につきあった
ところ、途中でイヤになったらしい長女のグズグズとした態度にカチンときて、激戦になってしまいました。

学校ではどうやら分母と整数を掛けて分子と足す、というやり方を習っているようですが、
どうしてそうなるのかが分かっていなかったために、そのやり方を忘れている。
なので、1を分母ぶんに分けた線分図を使って「1は9分の9、じゃあ2は?3は?」というやり方で
なんとか3と9分の7を仮分数に直すことが出来ていましたが、
半分すねた状態で嫌々ながらやっていたので、すっきり「分かった!」ということにはならなかったです。


それでも、これが分かってないとあとがつらい(分数の足し算に入った場合)だろうという予想から、
こっちもつい、真剣になってしまう。

本当は、真の意味で「学びたい」「分かるようになりたい」という気持ちに持って行きたいと願っているのですが、
学校の授業があれば結局のところ、「飢餓状態」にはならないのかなあ、と悩んでいます。

「やれといわれない状態」をこのまま続けていくつもりです。
宿題もあまりにひどい様子になれば工夫するつもりでいます。
けれども、先の様子は予想もつきません。
いまの長女の状態で、自分から学びたい、という気持ちは芽生えるのでしょうか?

アドバイスを頂けたら、と思います。






どんぐり倶楽部の糸山です。


嫌々ながらやっていた
●私なら、やらない。楽しくおやつでも食べて終わり。中学になってからで十分。


それでも、これが分かってないとあとがつらい(分数の足し算に入った場合)だろうという予想から、
●本当につらくなったら教える。「教えて」と子供がいえる環境を常に作っておく事が大事で教える事そのものは大事ではない。


学校の授業があれば結局のところ、「飢餓状態」にはならないのかなあ、と悩んでいます。
●授業はあっても分からない所だらけですよ。必要に迫られまいと学校の勉強は身が入らないのが自然です。


いまの長女の状態で、自分から学びたい、という気持ちは芽生えるのでしょうか?
●中3くらいででるでしょうね。一応、中学からはスパルタでもいいといっていますが「でもいい」というだけで、ウチの場合は中3の夏まで完全放置です。中1-中3の7月までは(高校に行くのなら)本人が勉強をする覚悟を決める時間ですからね。
※参考までにウチの中3ですが、8/4から受験勉強開始(英語)、9月から数学、分数の計算も知らない状態でしたが1週間ほどで高校入試問題大問6問中1.2.3は自力で完璧に解けるようになってしまいましたよ。今日、4に入りますから、計算も含めて0から始めても本当の学力があれば驚異的な理解力を生みます。数学は、1.2問入試問題を使って考え方を説明しただけです。ちなみに、昨日は秒を分にする方法も知らない事が判明して大笑いしました。でも高校入試問題も解けるんですよ。小学校の分数?放っておきなさい。「教えて欲しいときには声かけてね」で終わり。自分から持っていかない。





早々のご返答ありがとうございます。
いつものことながら、大変驚かされます。
そこまでほっといて、大丈夫なのか???というのが正直な気持ちですが・・・
経験してみないと、分からないことなのでしょうね。

昨日の件は、自分から分からないんだけど、と持ってきたものだったのですが、
教えている途中でイヤになったらやはりその時点で終わりにするべきだったのでしょうか。


必要に迫られないと・・・というのはたいへんよくわかります。
私もそうだったので経験済みです。

もう少し、考えてみたいです。

ありがとうございました。







どんぐり倶楽部の糸山です。


> 教えている途中でイヤになったらやはりその時点で終わりにするべきだったのでしょうか。
>
●もちろんです。「はい、きょうはここまで!」「お菓子食べよう」「また、聞きたくなったらおいで」...切り上げ方が大事、サラッとすぱっと切り上げる。
 気持ちの切り替え方のお手本を見せていると思って下さい。





ありがとうございます。

私の一番苦手にする部分でした。
たぶん、私の言い方は突き放すように聞こえているのかもしれません。
実際、私の気持ちの中では切り替えというより「もういやだ!」という投げやりな部分がどうしてもあるので。
そんな見放した気持ちが自分でもいやで、何とかしてあげたい!と、どんどんドツボにはまるケースが多い。

「また、聞きたくなったらおいで」は、とてもいいかも・・・
使わせていただきます!





どんぐり倶楽部の糸山です。

●問題です。

毎日のお手伝いが決まっています。お風呂の準備です。でも今日は自分からはしません。
お母さんは一度声をかけます。「お風呂の準備おねがいしま~す」
でも、一向に動きません。

さて、どうしますか?

<解答例>
いつもの糸山家では...

何も言わずにお父さんがお風呂の準備をします。「今日は体調が悪いのかなぁ」とか思いながらね。
で、できたら、素知らぬ顔で「お風呂どうそ~~~」...と平穏に過ぎていきます。何度繰り返しても全く同じです。

これが、教育です。させる事が教育ではありません。





北海道のもこっぴです。
昨日は、ありがとうございました。

おかげさまで、昨夜の宿題は平穏無事に済ませられました。
同じような問題でしたが、結局のところ「教えて」というのは、分からないから分かるように教えて、
ということでなくて、一緒にやって、答えを出して教えて、という意味だったようで、
都合よく二女、三女にかまっているうちに
答えは教えてもらえないんだな、ということを悟ったらしくて、自分で取り組んでいました。
それでもなぜか、鼻歌を歌いながら機嫌よく、です。
あとで見たら見事に間違っていましたが><なんとかこらえて、そのままほおっておくことが出来ました。

あれからいろいろ考えながら過ごしてましたが、
結局のところはやはり勉強もしつけも同じで、自分がどう感じるのかが一番大事なのだなと
思います。どんぐり問題に関しても、相変わらずやる気配がありませんが、
「なぜ、それをやらなければならないのか」が、納得いっていないのだと感じます。
問題には取り組まない代わりに、私の本棚から「絶対学力」を持ち出したり、パソコンで
どんぐり倶楽部のHPを見ていたりはするので、
「なにか、どんぐり先生に聞きたいことがあったら、紙に書いてくれればFAXしてあげるよ」と
声をかけました。
「書きたい!」と即答したものの、いまだに書いてないのでどうなるのかは
わかりませんが、もしそう言った機会がありましたら、またその時はよろしくお願いいたします。






このあと、いろいろ考えに考えたんですが・・・
続きはまた。






にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村







「見栄えの良さ」と子供まかせにすることの、難しさ
前の記事で「子供の見栄えの良さ」について書いたんだけど、書き終わった後もいろいろ考えてしまった。

さくらのはっぱさんがコメント下さって、それに「子どものしつけ」についても書いてくれてたのだけど、子供のしつけについてもつきつめて考えると「子どもの見栄えの良さにこだわる」ことになる。
たしかにどこへ行ってもお行儀のよい子供、親や先生の言うことをよく聞いて素直に言われたとおりにしている子供は見栄えがいいし「いい子」と言われることになる。でもさ、やっぱりそれは、「自分の主張がない、意見がない、やりたいことがない子供」であって、私は自分の子供をそういう子に育てたいとは思わない。



学校の宿題に関しても、結局は「見栄えの良さ」だ。
先生に出された宿題をちっとも文句言わずにやり、毎日忘れずにきちんと提出する子は、「いい子」だ。
宿題の内容にもよるけれど、もしそれが、漢字をひたすらノートに書き続ける、足し算をひたすら100問解き続ける、あまりのある割り算をひたすら100問解き続ける宿題だったら?
文句ひとつ言わずに黙々と机に向かってひとつの漢字を書いて、書いて、書き続ける子供って、どうなんだろう。
私は、やっぱりそういう子供になって欲しいとは、思わないんだよね。



親が与える課題、というのはどうなんだろう。
いま、うちでは家庭学習はどんぐり倶楽部の教材のみを使っているけれど、それは長女自身がやりたいからやっているのかというと、やっぱりそうじゃない。
文章問題や三角計算。それも、私にやりなさい!って言われてるからやってるわけだ。
見栄えの良さ、という観点から見れば、私にとっては他のどんぐりをされてるお母さん方がアップしているような素晴らしい絵をブログに載せることが、やっぱり「いいなあ~~~」とうらやましいことなわけで、そういう意味ではどんぐりの文章問題でさえ、「見栄えの良さ」につながってしまう。

やっぱり、私は見栄えの良さにこだわってるんだな。




そうじゃない。そうじゃない。



たとえ、素晴らしい教材に出会ったとしても、子供に「やりなさい!」と言ってしまっては、他の教材を選ぶことと変わりないんじゃないか。
結局のところ、子供がこれをやりたい!遊ぶよりもこれをやりたい!と思う、そして自分の意思で問題と取り組む、その過程なしでは、何を使っていても同じなんだ。





「どんぐり問題は、たとえ親が「やらせた」としても思考力養成にはなるけれど、もったいないですね。」


これは、よく過去ログで見かける言葉だ。

「やらせる」では、ダメだというどんぐり問題。
ずっと、ずっと、それが一番難しいことだと思ってきた。





それでも、ちょっとだけ。
なんとなく、分かった気がする。










にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村






子供の「見栄えの良さ」に、こだわる親たち
子供の見栄えの良さにこだわる親は、多い。
というか、ほとんどの親は何かしらの「見栄えの良さ」に教育や子育ての観点を据えてるんじゃないか?とも、思う。私も、それが当たり前だと思っていた。

子供が小さい頃は、見た目の可愛さにこだわった。

可愛い服を揃え、着せ替え人形のように楽しんだ。
少し成長して、長女が「着たい服」を主張するようになったころは、毎日苦労した。めちゃめちゃなコーディネートをするから母親としてそれは恥ずかしいからやめてくれ、とケンカになる。
小学校へ通い始めたころ、朝の支度を長女が自分でこなすようになって、私はやっと手放した。
夏に長袖を着ようと、冬にスカートをはいていこうと、すべて長女任せ。というか、私は仕事へ行っているので見送るために自宅前へ駆けつけるころには長女がどんな格好をしていようと着替えさせる時間がないので、仕方なく、だ。
自分でやってみると分かることがあることも、そのころに学んだ。
長女も、今日は暑い、寒いの判断が出来るようになったし、コーディネートに自分なりにこだわるようになってきたので今は安心して見送れる。


幼児時期には、習い事にこだわった。
ピアノやバレエを習う他の子供が、「かっこよく」見えた。
英語が喋れる、という子供もうらやましかった。
当然、我が長女にもなにかさせたいと願う。

本人の希望や、やりたいことはさておき、だ。
私はまわりから羨ましがられる習い事を選ぶ。英語、バレエ、そして、学習塾。
保育園の教室に張り出される作品にだんだん「ひらがな」を書く子が目立つ。長女がお友達に「おてがみ」をもらってくる。中には感心するような立派なひらがなを書いてくる子もいる。
当然、私はあせる。
お友達のお母さんが、その手紙を見るであろうことを想定して、「ちゃんとしたおてがみ」を書くように指導する。
はじめは「○○ちゃんへ」。「へ」は、「え」ではないこともたたきこむ。
さいごは「長女より」で終わらせる。
「じゃあ、○○ちゃんへ、のあとはなんてかいたらいいの?」
・・・なんでもいいんだけど、いつもあそんでくれてありがとう、とかでいいんじゃないの?
と答えたら、それ以降、長女の書く手紙はすべてその文章になった。



見栄えの良さへのこだわりは、どんぐり倶楽部に出会ったいまでも、どこかしらで抜け切れていない自分がいる。子供にまかせよう、長女がやりたいようにすればいい、と、何度覚悟を決めたことか。
何度覚悟を決めても、何か起こるたびに「見栄えの良さ」が頭をかすむ。
まわりの人がなんて思うか。
なんて言われるか。

思えば、私自身がそういうふうに育てられてきた。
私の母親が叱るときの口癖が、
「あなたがそういうことをすると、ママがまわりの人にいろいろ言われるのよ!」
「みっともないこと、やめてちょうだい!」

思春期の頃の私は、そのセリフを聞くたびにひどく不愉快になった。
ママは、私がどう思うかよりもまわりの人が言うことのほうが大事なのね!
あの頃本当にそう母親に言ったかどうかは覚えていないが、たぶん言えなかったんだと思う。
うまく言葉にならなかった。
その思いが正しいのかどうか、口にしていいのかどうか、判断がつかなかった。




さて、最近の「見栄えの良さ」が頭をかすった出来事は、長女の夏休みの自由工作。

何をつくればいいかわからない、という長女にあんなのは?こんなのは?と、口を出す私。
長女が選んだのは100均で売っていた「ビーズアクセサリーキット」
くまちゃんがかわい~~ と最初は乗り気だった長女も、二日目で「難しくて分かんないと、リタイア

さんざん説得したにもかかわらず、残り一週間を切っても続きをやりたがらない。
イライラしながらもほっといたら、ある日突然「見て~~」と、部屋から持ってきたもの。
それは、ミッキーのメモ紙をセロテープでつなぎ合わせて作った「本」。
見ると、中身は挿絵と文字がびっしり詰まった「絵本」だった。
内容はというと、最近の3姉妹お気に入りのこちら。





おひめさまようちえんおひめさまようちえん
(2009/04)
のぶみ

商品詳細を見る








この絵本を、まるまる写して書いていた。
文章もそのまま、絵も似たり寄ったり。

部屋にこもって何をしているのかと思えば、こんなものを~~~
その場ではすごいね~~、よく作るね~~と笑顔で対処。





そののち・・・なぜかその絵本がとても気になってつらつらと考えてみるに。


内容はともかく、発想としてはまったくの長女のオリジナルだ。
「夏休みの工作の例」やその他たくさん出版されているマニュアル本を参考にしたわけでもない。キットを使ったわけでもない。
しかも、だれに提出するつもりでもなく、ただただ自分だけの楽しみとして制作している。
長女の様子からして、とても「作ること自体」を楽しんだようだ。
ということは、これは自由工作として提出させてもおかしくない、「作品」なのでは???




問題点は、内容が既存の絵本の模写であること。
白い画用紙などでなく、キャラクターのメモ紙を使っていること。
えんぴつで書いてあること。










さて。




みなさんならどうします?












私は、長女にそれを「夏休みの工作」として学校に持って行くことを提案し、長女はこれでもいいの?!と嬉しそうに同意しました。
それ以降は、「工作どうしよう・・・」と悩んで暗い顔をしていた長女は一転し、すっかり安心したように残り数日の夏休みを楽しんでいました。














にほんブログ村 教育ブログ 小学校教育へ
にほんブログ村













以下はどんぐり倶楽部公式HP:東京・秋葉原無差別殺傷事件「屈辱的な、母の育て方が影響」より抜粋


 弁護人「勉強やスポーツで優等生だったようですが、学校生活はどうでしたか」
 被告「家にいるよりはマシでした。勉強は嫌いでした」
 弁護人「成績は良かったんじゃないですか」
 被告「母親に無理やり、勉強をさせられていました」
 弁護人「良い点を取って楽しくなかったですか」
 被告「それはなかったです。テストは100点を取って当たり前で、95点を取ったら怒られました」
 弁護人「絵がコンクールに入賞したり、詩や作文が評価されていましたね?」
 被告「形式上はそういうことがありました」
 《独特な言い回しで答える加藤被告。女性弁護人が「形式上」の意味を尋ねると、加藤被告は淡々と答え始める》
 被告「私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました」
 弁護人「お母さんが書いたのですか」
 被告「夏休みには私が最初にやるのですが、母親が手を入れていき、私のものではなくなっていくということがよくありました」
 弁護人「作品が評価されても、自分が評価されていると感じなかったのですか」
 被告「はい」














分数がはじまった。
本州から一足早く、北海道では夏休みが終わりました。
先週の金曜が始業式。
昨日、学校から帰った長女から、算数で分数が始まったことを教えてもらいました。

新学期早々。ついに来たな。

「で、分数分かった?」
「ん~~~、いまいち・・・」

夕食の準備をしながらの会話。


一緒にスーパーへ買い物に行ったとき、長女がこれ何?と興味を示した
「白菜 1/2 150円」「1/4 80円」
ついでなので説明したけど、あれだけじゃ、足りなかったか。

どんぐり倶楽部では先取り学習よりも、準備学習が大事。

だけど、長女はどんぐり問題もいまだ1年生向きでアップアップ状態なので、4年生の準備学習になかなか入れない。日常的にピン!と来たところで少しだけ準備をさせてきたけど、間に合わないなあ。


どこが分からない?
教科書持ってきてごらん。


みれば、1mのリボンを3つに分けた絵、5つに分けた絵。
1を3で割ると、割り切れないので1/3と表記する、みたいな説明がノートに書いてあった。



絵を見ながら、私が説明。
「これは、3つにわけたうちの1つね。だから3分の1。これは5つに分けてある。5分の1だね。こっちの絵は3つに分けたうちの2つがぬってあるね。これだといくつになる?」
「???」

・・・むむむ。むずかしいのか。
分数はこれからさき、重要になってくる概念だ。なんとか授業で分かるようになってもらわないと、あとがつらい。

どうしたものか。と思いつつ、これは3つに分けたうちの二つだから3分の2だよ。なんて言ってたら、急に長女が閃いたらしい。

「ああ、分かった!分かった。じゃあ、これは5分の1、5分の2・・・」
「そうそう。5分の3、5分の4・・・」
「5分の5!」

最初の授業の復習としては、上々だろう。

さて、お宝算の出所はいつがベストなんだろう。また、私もお勉強だ。










にほんブログ村 教育ブログ 小学校教育へ
にほんブログ村










1MX55 バッタのサイダー:思考の過程を意識しよう
夏休み2度目の我慢大会は、先週のどんぐり問題。

1MX55
バッタのピョンピョン、バサバサ、パタパタの3人が28円のサイダー1本を買うのにお金を出し合いましたが、皆で19円にしかなりませんでした。足りない分は3人のお母さんが出してくれることになりました。では、お母さんは一人何円を出すことになりますか。


3人で19円。サイダーが28円だから、足りない分は9円、というところまであっという間に出ました。が、そこからが問題。
3人のお母さんをそれぞれ一人ずつ書いた手に、それぞれ9円を持たせてる。
だから、答えは9円。

ブブー。


なんで違うの?という質問に、私が、じゃあ試しにお母さんが一人9円出したら、何円集まるの?と聞くと、計算を始めて46円。サイダーは28円なんだから、多すぎるよねえ。

じゃあ、どうすればいいの?というのは長女の質問。

さあ。どうしたらいいだろう。考えようか。


こうなると、相変わらず思考停止状態に陥る長女。

出来ない~~分からない~~と、今度は47円からアタマが離れなくなってしまっている。

思うに、一度最後までたどり着いたところで間違っていることが分かると、さてそこからどこが間違っているのかあともどりが出来ないらしい。コマ送りでもとに戻すとか、最初に戻ってコマ送りでまた進めていけばどこが違うのかはすぐ分かるはずなのに・・・と、私はまたもイライラしちゃうんだけど、考えの途中が意識できない、というのはなにやら長女の特徴のように思えてきた。

長女の生来のテンポは、速い。
私から見ると、速すぎるぐらい、速い。
くるくると回転して、そこだ!そこで止まれ!と、私が止めるころには肝心なところよりもず~~っと先に行っちゃっていて、さらに長女は混乱する、という現象はなにも今に始まったことではなく、幼少のころからの悩みの種だった。その速さのままに正答が出ればご機嫌なんだけれど、違うよと言われようものなら激怒して「いいでしょ!長女がそう思ったんだから、いいんだよ!!!」と、お怒りになる。今思えば2歳ごろからこんな調子だったので、長女の怒りを恐れた私は、間違えをしでかす前に軌道修正をかけたり、押しとどめたりで必死だった。そこら辺から、子育ての方法を間違えちゃったんだなあ。

速すぎるぐらい、速いことを再認識したのは、最近の出来事。
この問題に取りかかる前の週に、「絵コンテ読解」を試した時のことだ。

題材は近所の本屋で手に入れた、4年生用文章読解のテキスト。
長女が選んだのは「アルプスの少女ハイジ」からの出展。

ハイジがおじいさんのところへ戻ってくる場面だったのだけれど、これがすこぶる長女の気に入ったらしく、登場するハイジやおじいさんはともかく、村人たちまで詳細な設定を付けてくれて細かいお話を永遠に語り続けてくれた。その展開の速さはまるでマシンガンのようで、次々と頭にうかぶオリジナルな話が飛び出て来る。話にはなるんだけれど実際の絵はまったく付いていけずにみんな棒人間だ。絵を描いているのももどかしい、という雰囲気だった。しかも、言葉も足らず、という感じだったので本当に長女の頭に浮かんだ物語は、もっともっと長いものだったんだろうと思われる。
時間があれば、もう一度たっぷりと時間を取ってやらせてあげたいなあ、と思っているし、長女自身も「お話のお絵かき、またやりたいなあ♪」と言っているので、そうとう楽しかったに違いない。


それはともかく、長女のいわゆる思考スピードというのが、べらぼうに速いことは分かった。
それが、自分でうまく表現できないでいることも分かった。
もしかしたら、「速すぎて、意識できない」タイプであるのではないかとも、最近疑っている。
つまり、「思考の途中」が、意識できない。意識出来てないから、どこで間違ったのかも認識できず、確認する手段を教わったことがないことは明確だ。
だからこその、どんぐり倶楽部だ。
ひとつひとつ、ゆっくり絵を描いていれば、思考の途中も書かれている。
そこに何とか、意識を向けたいなあ、というのが、私の思い。
そこさえわかれば・・・

というわけで、冒頭の1MX55。


どこで間違ったかは、何とか自分で見つけてほしい。
間違えている、となるともう一度同じ絵を別のページに書きなおそうとする長女に、
最初の絵にも、ちゃんと書いてあるよ。よく見てごらん?
すこしづつ、たどってみようよ。最初はどこを描いたの?

一歩一歩。
思考の過程を意識してみよう。


もちろん、もういやだ、わからない、分からん帳に入れて!と、駄々をこねる長女との、我慢大会。


3人で、19円。サイダーは、28円。
で。
お母さんは?
28-19の式が書いてあるけど、答えの9円は、どこのことなの?


9円は、お母さんが出すお金!
だから、お母さん3人書いたよ!
これがお母さん!

と、3人のお母さんを丸で囲む。

と、ふと長女の顔つきが変わった。


あああ~~~~そうか!一人3円だよ~~~





ハイ、良く出来ました






ちょっとヒントを出しすぎたかな~~とも思ったりするけどね。
時間的に言えば、前回の我慢大会よりはぐっと短くなった。


悩みに悩んだ後で、すっきりと問題が解けることの楽しさ。

分かってくれるといいんだけどな。











にほんブログ村 教育ブログ 在宅学習・通信教育へ
にほんブログ村







Copyright © 2017 のんびり学習の記録. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。